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2020年

~the Forest of Life~ 生命の森


「いのち」とはなにか?
もし、一本の樹のように、地球が一つの生命体として存在していて、宇宙全体が一つの森のように、相互作用し合って生きていたとしたら。今、地球で起きていることをどう受け止めて、ほんの小さな人間の私をこの世界にどう位置付けていけばいいのだろう。


佐々木めばえ展生命の森イメージムービー|『いのちってなに?』

-森の木々は、根同士が地下でネットワークを形成し、異なる種類の木々が助け合い、その多様性故に、森自体が一つの知的生命体として生きていることが証明されています。 森の地下で根同士が繋がりネットワークを形成し、遺伝子構造の多様性によって森全体の生命力を高めているように、生命維持のためには、生命体内の細胞の多様性と細胞間のつながりが必要不可欠です。この世界で生きるすべてのいのちが同じ原理のもとに生まれてくるのなら、人間も同じように、目に見えない領域で繋がり合っているのではないか。へその緒を切る瞬間に、母との繋がりは目に見えないものになり、個体としてのいのちが始まります。全てが同じ細胞だとその生命体は生き残ることはできません。人間に違いと欠如が与えられているのは、パズルのように繋がり合うことで命を存続させていけるように、デザインされているからではないか-

生命の森は、そんな仮説のもとに生まれたアイデアです。

同じ自然の原理が人間にも働いている前提で「町」を「森」に、人を1本の木に見立てて考えてみると、人、場所ともに固有性が失われ、繋がりが希薄になっている現代は森でいう「地下のネットワーク」から人間が分断されており、私たちの社会が、そして個人が、自然の原理から乖離させられてしまっていることが示唆されるように思うのです。

『癒し(heal)』という言葉の語源は『全体性(whole)』に由来します。現代において「癒し」を求める人々が急増しているのは、海や山、森などの触れることのできる外的な自然、森の地下のネットワークに当たる「感情や直感などの自分の意識の内で働く内的な自然」から疎外された人々が「自分そのもの」から分断されている痛みを抱え、いのちの全体性との一体感を取り戻すことを『癒し』に求めているからではないかと思うのです。経済的成長のために生命それ自体をコントロール可能な道具だと見なす生命観が私たちの意識に内面化されたことで、自然の原理が働くために必要不可欠な「いのちの固有性」が社会から失われ、個々人が持つ魂とのつながりが分断され、個性を認められず、自分を、相手を愛する方法がわからなくなってしまった人々が内側に愛を感じられなくなっていくという悪循環の中にあるのが、今の私たちを取り巻く社会なのではないかと考えています。

私は、社会の中で暗黙に共有されている生命観を反省し組みなおす必要性と、人々の心と魂を「癒す」必要性を強く感じています。森が木々の固有性から成る地下のネットワークによって全体としての生命力を高めているように、私たちの社会においても、人々の心の繋がりこそが生命力を高め、いのちの固有性と全体性を思い出していくことが、自然と人とを隔ててしまった現代の分断を再び結びつける「のり」の役割を果たしてくれると信じています。